では、Aさんの上記のような状態を認識したのちの東京入管の対応はどのようなものであったか。これについても、被収容者たちの目撃証言は一致しています。
かけつけた職員たちは、Aさんの背中をさすり、体を横にするなどしましたが、いっこうに医者を呼ぼうとせず、体温や血圧をはかったりするばかり。同室の被収容者たちは、はやく医者を呼ぶように再三にわたり職員に要求しました。ところが、このとき職員は、なんと「癲癇(てんかん)[の発作]だろう。大丈夫」「医者は食事中」などと言って医者を呼びませんでした。
Aさんは、入管の出動要請を受けて救急車が到着した時点ですでに意識不明の状態で、病院に搬送された後、昏睡状態がつづいていましたが、14日の早朝、かえらぬ人となりました。
2.東京入管への申し入れ
こうしたの対応の問題点などについて、15日(火曜)、Aさんの親族のかたといっしょに、東京入管に対し、口頭での緊急の申し入れをおこないました。
申し入れでは、まず第1に、Aさんの親族に対し、ことのいきさつをくわしく説明することをもとめました。親族のかたは、Aさんが入管に収容されて容態が悪化する経緯や、そのときの入管の対応などを、現場にいた職員から説明を受けることをつよく望んでおられます。Aさんが亡くなってしまった以上、その生前の最期の姿、見ることのかなわなかったAさんの亡くなる前の状況を聞きたいというのは、遺族にとって切実かつ当然の欲求であるはずです。この親族のかたの思いに誠実に応えようとすることは、Aさんを収容した入管の最低限はたすべき責任であるといえます。
第2に、Aさんを病院に搬送するまでの入管側の対応について、入管が収容者責任をはたしているとは言えないことを指摘しました。
まず、Aさんがアワをふいている、また痙攣もおきているというあきらかに切迫した状態で、ただちに救急車をよばなかったこと。このような状態の人を見た場合、まっさきに救急車を呼ぶのはごくごく常識的な判断であるはずで、そのような常識的判断がなされなかったということを、東京入管は重大な問題として受けとめるべきです。こうした対応の遅れ、また「医者は食事中」などという職員の発言が出てきたことには、被収容者・外国人の人命を軽視する入管組織の差別的な体質が背景になかったのか? あるいは、緊急医療の体制に根本的な欠陥があったのではないか? こういった点は、早急に点検・検証されなければなりません。
また、Aさんを病院に搬送するまでの対応については、収容場で入国警備官が医療的な判断をしているということの問題についても指摘しました。「癲癇(てんかん)だろう。大丈夫」というような判断は、医療従事者ではない入国警備官がおこなってよい範囲を大きくこえています。「癲癇」うんぬんの職員の発言をぬきにしても、容態の異常がみられたら即座に医師の判断をあおぐこと、医師の不在等の事情でそれができない場合はただちに救急車を呼ぶことは、被収容者の身柄を拘束している入管の当然の責任です。入国警備官が被収容者の病状を過少に評価して医療的な処置が遅れるようなことは、あってはなりません。
申し入れの3点目としては、Aさんが日本の消極的な難民政策の犠牲者であるということ。Aさんは、ミャンマーで迫害を受けるロヒンギャ民族でした。妻子もミャンマーと国境を接するバングラデシュに避難しています。このため、Aさんの亡骸(なきがら)をミャンマーに送ることもできなければ、妻子のいるバングラデシュに送ることもできません。亡骸となってすら、かれには帰るところがないのです。このような人に在留資格を認めない日本の難民政策とは何なのか。
4点目として、再収容は絶対にすべきではないということをあらためて申し入れました。Aさんの死亡との直接的な因果関係があるかどうかは別にしても、Aさんのように一度収容されて仮放免になった人は、すでに心身に大きなダメージを受けていることがほとんどです。しかも、仮放免の状態では、健康保険に加入できず、また就労も許可されないため、心身の不調があっても思うように診療を受けられません。そのような人を再度収容することは、人道上ゆるされることでありません。Aさんは、上記のような帰るところのない難民でもあって、かれをふたたび収容することに、心身を痛めつける以外にどのような意味があったのでしょうか。Aさんに早期に在留資格がみとめられていれば、ということを、Aさんがもはやかえらぬ人となってしまったいま、考えずにはいられません。